広島に原子力爆弾が投下され77回目の夏がやってきました。哀しい事件を踏まえ、物々しい警備体制のなか、平和記念公園での広島市原爆死没者慰霊式・平和記念式が開催。日が沈んでからは、灯篭流しも復活。ビジネス旅館はらだにも、式典に参加される方や、式運営スタッフのご宿泊を賜りました。核兵器の脅威を改めて感じる「今」こそ、広島から、原爆ドームから世界平和を発信!
77年経っても続けなくてはいけない核兵器廃絶への祈り
連日の猛暑。セミの鳴き声にあふれかえる平和公園で、77回目の広島市原爆死没者慰霊式・平和記念式が開催されました。岸田首相をはじめ、世界各国の政府、国連関係者が集うなか、原爆を知らない「ひろしまの子供」代表のスピーチ。
原始爆弾の被害を直接的にも、間接的にも受けた方々も少なくなっていくなか、あの悪魔の兵器の恐怖も薄くなっていっているのでしょうか?今、世界では核兵器の脅威が取りだたされています。何故「外交手段」として核兵器をちらつかせるという考えが頭に浮かぶのだろう?広島、長崎に住む私たちには理解ができない話です。
世界中には文化も歴史が違えば、考え方も違う人がいるのも当たり前。でも、平和記念資料館の展示や、原爆ドームの前に立ったのならば、核兵器を使った後に残る悲劇への想いは人類共通なのではなのでしょうか?まだまだ、広島・長崎からの情報発信が届いてないのでしょうか???
平和を願う式典に馴染まない物々しい警備
ものものしい警備体制
ウクライナ侵攻に伴う世界経済への様々な影響や、核兵器使用の現実性の恐怖のなかで、特に注目されがちな今回の平和式典。さらには、先月起きた、国内でのテロ行為。2022年8月6日、8時10分すぎに家を出て、原爆ドームへと急ぐと、例年以上の警備体制に目が行きます。
もちろん式典への参加や、デモ行進などの活動に参加される方も、コロナ禍に入ってから一番の人出ではありました。しかし、雰囲気が違う。不穏というか、何というか、空気が張り詰めています。まさに今の日本、世界の状況を反映した式典になったのではないかと思います。
8時15分。サイレンの音と共に黙とうの時間。式典に参加される方の胸には、色々な思い、考え方があるはずです。でも、黙とうの時間は「原爆の被害で亡くなられた方への追悼と、核兵器廃絶と世界平和」の想いだけ。皆同じ気持ち。誰も、迷惑な行為・暴力行為なんてしないのに、こんなに警備が必要なのでしょうか?、、、、必要なんですよね、、、、、哀しい気持ちになります。
8時15分から1分の黙とうを終えて
それでも平和の祈りは絶えない
ビジネス旅館はらだにも、平和記念式典に参加される方や、式典の準備のスタッフの方もご宿泊頂けました。朝早くから、ご出発されるお客さま。式典が終わっても、式典後の真夏の日差しのなか、「チョッと先にある戦没者慰霊碑まで参ってくるから、チェックアウトギリギリまで荷物おかせてくれないか?」と言われたご高齢のお客さま。ビジネス旅館はらだにも、いつもとは違う空気が張り詰めていました。
そして夜は原爆ドームの側を流れる川で行われる灯篭流し。穏やかな川の流れ。でも、広島市の77年前の川には沢山の人の哀しみで埋まっていました。灯篭流しは、原爆の被害に遭われた方への鎮魂と、未来への平和を願って、参加者のメッセージを書き入れた灯篭を川に流します。
夜遅くまで祈りの列は続く
灯篭流しの前に、平和公園を横切ると、夜になっても、原爆慰霊碑の前には長蛇の列。いつもランニングコースだったり、買い出しの途中だったり、特に意識することなく横切ってしまうこともある場所が、特別な風景となって胸を打ちます。広島以外からも来られた方も多いはずのその祈りの行列。広島に住む者として、心から感謝したい気持ちになりました。ありがとうございました!
私が子供の頃の灯篭流しは、自分で書いた灯篭を、雁木(船などの発着場にもなる、階段状への入り口)からそっと自らの手で押し出していましまた。今では、様々な理由から、メッセージを記入した灯篭を事務局の方にお願いして流してもらうスタイルに変更しました。
そんな灯篭流しもコロナ禍で中止されていましたが、久々復活。夕食の片付けが終わってふらっと散歩がてら見てみると、、、、本当に綺麗です。観光名所でも、イルミネーションでもないのに、、、哀しい歴史も踏まえつつ、、、、やっぱり綺麗でした。過去に学び、未来を見ていかなきゃいけない今を生きる我々にとって、哀しい8月6日だけど、この「綺麗な景色」を胸に頑張っていこう!そう思える大切な行事がかえって来てくれて本当に感謝です。
平和の願いを灯した灯篭
77年経っても、核兵器を使おうとする人にも届くまで、広島・長崎は絶えることなく、原子爆弾の恐ろしさと平和への祈りを発信続けていかないといけないな!と改めて感じた77回目の8月6日でした。